敬老の日

最近、障がいを持つ人や一時的であれ身体が不自由になった人が私の周りに増えつつあります(10年ほど前は自分にさほど関係も無く客観的に大変だなとという感情はありましたが)。
しかし、それが家族や知人となると、一転して今までとは異なる感情が芽生え葛藤を繰り返し、再び客観的に見ることが可能となる日が来ることを経験しました。
ここ数年、バリアフリーやユニバーサルデザインという言葉が氾濫し、障がい者に配慮しているニュースを耳にする事が多くなりましたが、人が触れ合うという部分ではまだまだ表面上に過ぎない場面が多く見れます。
たまたま、敬老の日関連のニュ-スで30年前に比べ高齢者の数が倍増している事、当時の敬老の日のイベントに出席する高齢者が家族同伴であった事等々、一人暮らしの高齢者が多い現在を皮肉るようなコメントが流れていました。
物や形だけのバリアフリーではなく心と心のバリアフリーをもっと推進して欲しいものです。
近い将来、自分にも必ず訪れることなのですから。

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