水を運ぶ人

いよいよ高校野球が始まりました。第一日目から事実上の決勝戦?とも思われる試合で残念ながら横浜の春夏制覇の夢は散ってしまいました。暫く仕事も手につかない人も増えてきるのではないでしょうか。その一方で広島の平和式典、原爆ドームの心無い人によって行なわれた悪戯・・・
どんどん当時を体験した方々が減少し世代を超えて語り継がれていくべき大切なものを少しずつ置き去りにしていくような気がしてなりません(寂)。
スポーツといえば、先週の亀田の世界タイトル戦も色々な意味で反響がありました。スポーツ、特に格闘系は判定で結果づけるのは難しいのではないでしょうか?数値化が可能なスポーツなら未だしも、ジャッジメントは誰の目から見ても100%白黒が分からないような判定は有り得ないと昔から思っています。
ところで「水を運ぶ人」で話題提供したオシムジャパン、合理主義(効率の良い)が時代の先頭を走っていた日本にとって、改めて無駄の必要性・大切さを教えてくれたような気がします。私も仕事をしていく上で、どうしても時代の速さについていく為に効率化ばかり考えるようになっていた事に最近になって気がつきました(性格的なこともありますが)。
どうしても効率が悪い人間=能力が劣ると考えがちになっていた事は否めません。無駄の中にあるその先を読むことが出来れば個々が生かせるポイントも明確になってくるのでしょうね!
20数年前、効率など考えずガムシャラに仕事をしていた社会人1年生の頃を思い出しました(笑)。

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